宇和島のパワースポット・和霊神社へ初詣 実は恐るべき怨霊伝説が…⁉【四国ひとり旅④】

飢饉・台風・大地震、江戸時代の知られざる怨霊を祀る神社

 

2023年のお正月は、念願の四国ひとり旅。

 

初詣は、宇和島市の和霊神社(われいじんじゃ)へ参拝しました。

 

和霊神社は、宇和島駅から徒歩8分ほどの小高い丘の上に鎮座する、由緒ある神社です。

 

 

…が、実はこの神社、江戸時代に宇和島藩に巻き起こったある"事件"にまつわる怨霊を祀っているのです。

 

初詣客で賑わう和霊神社へ、行ってみました。

 

 

神社の横にある和霊公園

旧鉄道省のC12 259が展示

和霊神社はJR宇和島駅から北に歩いて8分ほど。市内を縦断する須賀川を渡った所にあります。

 

 

神社の入り口には和霊公園という、広い公園があります。

 

公園に入って真っ先に目に付くのは、蒸気機関車のC12 259

 

 

国鉄の前身である鉄道省が運営していたSLで、1932年から戦後まもなくまで運用されていました。

 

運転席にも自由に入ることができて、内部を見学できます。

 

 

神社を焼失させた宇和島空襲

公園は樹木に囲まれていて、たくさんの遊具のほか噴水も設置されています。

 

また多数の記念碑・銅像が展示されています。

 

 

こちらは宇和島市出身の大宮庫吉の銅像。

 

誰??と思って調べたら、なんとあの寶酒造を日本有数の酒造会社に発展させた実業家

 

寶酒造は、現在宝ホールディングスという会社名で数々のチューハイを発売しているあの会社です。

 

 

そしてその隣には、1945年の宇和島空襲による死没者追悼記念碑が。

 

 

宇和島市が最初に空襲されたのは1945年5月10日。その後終戦間際に至るまで8回にわたる空襲を受けました。

 

実はこの空襲で、市街の70%が焼失し和霊神社も焼失しています。

 

現在の社殿が修復されたのは、1957年のことです。

 

 

 

【歴史】宇和島藩を恐怖に陥れた怨霊伝説

和霊騒動で斬殺された、山本清兵衛一家を祀る

ところで、この和霊神社創建の歴史を辿ってみましょう。

 

 

かつて宇和島藩は伊達政宗の重臣・山本清兵衛が藩政に絶大な権力を握っていました。

 

しかし元和5年(1619年)、大阪城の石垣修復を巡って山本清兵衛と桜田玄蕃元親が対立。

 

翌年6月、何者かによって山本邸が急襲され清兵衛やその子供・娘婿らが惨殺されました。これは清兵衛を嫉妬する藩士による諫言を信じた宇和島藩主・秀宗が、殺害を命じたと言われています。

 

 

事件後の寛永9年(1632年)、金剛山正眼院で行われていた法要中に突如本堂の梁が落下し、桜田玄蕃が圧死

 

その後も清兵衛の政敵たちが相次いで事故死したため、宇和島藩家老の神尾勘解由が、宇和島城北に祠を建てて児玉明神としましたが、その甲斐なく秀宗が病床に伏し、秀宗の長男・次男・6男が次々に死亡

 

 

しかも、後になって清兵衛の無実が判明。藩内に飢饉・台風・大地震による被害が相次いだため、これを「清兵衛の怨霊による祟りである」と庶民に恐れられました。

 

事態を重く見た秀宗承応年(1653年)に山頼和靈神社を建立。さらに享保16年(1731年)、5代目藩主村候によって旧清兵衛家跡に遷移され、現在の和霊神社になりました。

 

お正月の和靈神社へ

 

神社の入り口には立派な鳥居がそびえています。

 

この鳥居は高さ13mで、石造りの鳥居では日本一の大きさを誇ります。

 

 

お正月だったので、20ほどの露店が設営されていました。

 

たこやきにベビーカステラ、いか焼き等。たくさんの初詣客で賑わっていて、明るいお正月ムードが出ています。

 

 

二の鳥居から本殿までは、途中に流れる須賀川にかかる立派な太鼓橋を渡ります。

 

神門に一礼して、境内へ。

 

 

入ってすぐに、ご神木が。

 

樹齢450年といわれており、奇跡的に宇和島空襲を免れた大銀杏です。

 

 

本殿はやや小高い場所にあるので、少し階段を登ります。

 

原始的な鳥居(?)が、いい雰囲気出しています。

 

 

 

 

初詣に賑わう静謐な境内

ずいぶん恐ろしい伝説のある神社ですが、境内は至って穏やかで、清々しい空気に満ち溢れています

 

境内には篝火が焚かれていました。

 

 

ご利益は五穀豊穣・無病息災・学問成就・縁結び

 

地元の方はもちろん、四国・中国地方を中心に崇拝者が多く、分霊を祀る神社が日本各地にあります。

 

 

1月2・3日には剣術武道の奉納も行われるそうです。

 

 

 

 

大絵馬と坂本龍馬脱藩記念碑

本殿の隣には卯年の大絵馬がありました。横幅だけで5mはあります。

 

 

本殿の脇道を進むと、坂本龍馬脱藩140年記念碑が。

 

龍馬が高知県を出奔したのは文久2年(1862年)なので、2002年に建立された碑のようです。

 

 

そして本殿の側には、役割を終えた寅年の大絵馬が立てかけられていました。

 

心なしか、ちょっと寂しそう(笑)

 

 

さらに半周周ると、前々年の丑年の大絵馬が。宇和島らしく、闘牛の絵柄です。

 


こういう大絵馬、年が改まったらどうなるのか気になるのですが、ちゃんと保存されていてよかった(笑)

 

 

 

たくさんの境内社

龍馬脱藩記念碑の隣に、豊玉姫命が祭神の若宮神社があります。

 

ちょっとここだけ不思議な雰囲気でした。

 

 

神門を潜って右に行くと、竃神社・三島神社・山本神社・御井神社があります。

 

ここは訪れる人もまばらで、ゆっくりと参拝できました。

 

 

 

 

【まとめ・アクセス情報】

 

怨霊伝説がある、ということで結構ビビリながら訪れたのですが、いざ参拝してみるととても穏やかな空気に包まれた素晴らしい神社でした。

 

綺麗に掃き清められた境内は、老若男女たくさんの人々で賑わっており、麓の和霊公園には子供たちの元気な遊び声が響いていました。

 

かつて怨霊となって数々の祟りを成した清兵衛も、今は地元の人々に愛されて、穏やかに宇和島の町を見守っている優しい神様になっているようです。

 

 

宇和島って、いい町だな…。

 

たった3日間の滞在でしたが、心からそう思いました。

 

 

◆和靈神社:アクセス情報【住所】〒798-0012 愛媛県宇和島市和霊町1451
【車】松山自動車道・宇和島朝日IC降りて5分。無料駐車場15台あり
【電車】JR宇和島駅下車、徒歩8分