隼人駅から鹿児島神宮へ、徒歩で行くパワースポットめぐり
鹿児島へひとり旅。3日目はJR日豊本線で隼人駅へ向かい、駅から徒歩で鹿児島神宮へ参拝。
鹿児島神宮からは、徒歩で蛭児神社、そして肥薩線の日当山駅へ向かいました。
途中までは綺麗な小川に沿って、高台からの清々しい景色を眺めながら、快適にウォーキングできます。
歩きっきぱなしの長行程でしたが、雄大な景色の中、綺麗な水路に沿って続く遊歩道を歩きながら日頃の運動不足を解消でき、一石二鳥でオススメな旅路です♪
▼前回記事はこちら▼ 「路線バスで行く知覧特攻平和会館への旅」編
JR鹿児島中央駅から日豊本線で隼人駅へ
JR鹿児島中央駅までは、天文館から歩いて20分ほど。バスもたくさん出ているので、簡単にアクセスできます。
駅前のバスターミナルには、観光名所でもある若き薩摩の群像があります。
薩英戦争での教訓から、西欧文化の先進性を痛感した薩摩藩が、鎖国の禁を犯して英国へ派遣した17名の志士。
帰国後は各分野で功績を残し、維新の原動力となりました。この像は昭和57年、彼らの偉業を顕彰し建立されました。
電車は11:59発の普通・国分行。2両編成のローカル線です。
ちょっと早く駅に着いたので、ホームに停車している電車を眺めていました。
全てワンマン運転の電車で、2両編成。乗客は、地元の人と観光客が半々くらいのようです。
特急指宿のたまて箱
ふと反対側のホームを見ると、観光パンフレットで見慣れていた観光特急指宿のたまて箱が!
この列車はドアの開閉時に、霧を噴射して玉手箱感を出すギミックがあると聞いていたのですが、運よくその瞬間を激写できました(笑)。
今回は旅程の関係で指宿はには行けなかったのですが、いつかこの列車に乗って行ってみたいですね!
さて、のんびり駅看板などを撮影していたら、発車の10分ほど前に電車が入線。
列の後ろから乗車します。座席はほぼ満席。
後ろの座席に座った大学生っぽい子が、温めたホットドック的な食べ物を食べていて、匂いがキツい(-_-;)
電車内の飲食にそこまで物申すつもりはないのですが、匂いのキツい食べ物は自粛して欲しいなぁ。
・・・などとボヤいていると、突然車窓に桜島が。
車窓から眺める桜島の全景
市内からも桜島を眺めることはできますが、麓までは見えなかったり、見えても島の一部がほとんどです。
しかし日豊本線からは贅沢に桜島の全景を眺められます。ちょっと電車の窓ガラスが汚くて、写真を撮るのが難しいのが残念・・・!
桜島が見えなくなってからは、のんびり錦江湾を眺めたり、途中の駅舎を眺めたりしながら約40分で隼人駅へ到着です。
隼人駅から徒歩20分、鹿児島神宮
隼人駅へ着きました。木製の駅標が旅情をかきたてます。
時刻表はこのとおり、1時間に2~3本。肥薩線にいたっては2時間に1本なので、しっかり旅程を組みましょう。
最新の運行情報にご注意
肥薩線は令和2年7月の豪雨の影響で、八代~吉松間を運休しています。最新の運行情報はJR九州の公式サイトよりご確認ください。
正八幡・鹿児島神宮
緩やかな勾配のある約1.5kmほどの道のりをのんびり歩くこと20分、大きな赤い鳥居が目印の鹿児島神宮入り口が見えてきました。
道すがらには、鹿児島神宮の仕事を代々受け継いできた四社家のひとつ、桑幡氏の館跡が保存されています。
隣には小学校があって、ちょうど昼休みだったらしく子供たちの元気な遊び声を聞きながら鳥居を潜ります。
写真にちょこっと写っていますが、鳥居の脇にはたこ焼きの屋台が出ています。美味しそうでしたが、宿の夕食があるので、ここは我慢・・・!(笑)
神代の創建と伝えられる、歴史ある神宮
神社の創建は神代とも伝わるそうで、和銅元年(708年)に現在の場所に遷座しました。
社殿は小高い丘の上にあって、豊かな樹木が生い茂っています。小川にかかった、小さな太鼓橋を渡ります。
段数は多いですが、そこまでキツくない階段を登ります。
この地に遷座してから13世紀以上、いったいどれだけの人数がこの階段を踏みしめただろうか・・・なんて、思いを馳せます。
境内では、大きな石灯籠と樹齢推定800年のご神木が出迎えてくれます。
建久年間の植樹とあるので、西暦でいうと1190年代。ちょうど鎌倉幕府が開かれた頃です。
平日でしたが、ちょうど七五三詣だったのでご家族連れで賑わっていました。
宇佐八幡の密使に神罰を下した正八幡伝説
こちらが本殿入り口。社額には、堂々と正八幡宮の文字が。
この正八幡を巡っては、一つの因縁めいた話があります。
そしてこの十三塚原は、現在の鹿児島空港周辺です。
令和4年に国の重要文化財に指定
令和4年、本殿と拝殿・勅使殿・摂社四所神社本殿が国の重要文化財に指定されました。
摂社の武内神社は、300歳以上の長寿だったという武内宿禰を祀っています。
戦前前は、紙幣の肖像画になっていたことでも有名です。
このゆるキャラの名前は一体...??(^^;)笑
実は、良質な湧水が豊かな霧島はお米の名産地でもあります。
ご祭神は山幸彦と豊玉比売命
鹿児島神宮のご祭神は、海幸山幸で有名な彦火火出耳尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)と、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)。
豊玉比売命は竜宮の姫で、山幸彦の子供を出産するときに「絶対に中を見てはいけません」と言い残して産屋に閉じこもりました。
我慢できない山幸彦が覗くと、そこには出産の苦しみにのたうち回る和邇(わに)の姿が。真の姿を見られたことを恥じた姫は、子供を残し海へと帰って行きました。
龍宮からやってきた!?亀石
境内には龍宮の亀石なるものがあって、ひときわ目を惹きます。
日本各地の神社に亀石の類はありますが、この鹿児島神宮のものはとても立派。なでるとご利益があるそうです。なでなで。
周辺には樹木が豊かに生い茂っており、時おり吹くそよ風が心地いいです。
何かの祭祀で使われたのであろう、大きな甕も。直径1メートルは優にあります。
日本神話では、はじめ天孫たちは九州の高千穂に降り立ち、数代を経て神武天皇の時代に東へと進んでいきました。神武東征です。
そのため九州にはここ鹿児島神宮はじめ創建の古い神社が多く、今でも古代の息吹が色濃く残っています。
新鮮な空気に浸りながら、しばし遠い古代へと思いを馳せました。
自然あふれる遊歩道を通って、蛭児神社へ
鹿児島神宮からは、徒歩で蛭児(ひるこ)神社へと向かいました。距離は1.6kmで徒歩20分ほどの行程です。
途中にはインパクト抜群な卑弥呼神社や、元々鹿児島神宮が鎮座していた場所に建つ石體神社があります。
どちらも安産祈願や女性にご利益のある神社のようなので、今回は門前でのご挨拶だけにしました。
なんて読むんだ!?「石體神社」
石體神社は「しゃくたいじんじゃ」と読みます。安産の神様として有名で、本殿前の石塔の小石を持ち帰るとご利益があると云われています。
ちなみに「體」は「体」の旧字。體→躰→体と変化したという説があります。
300年以上の歴史、自然豊かな宮内原用水路
次の目的地は蛭児神社。宮内原用水路という綺麗な水路に沿って歩きます。
ここは高台になっていて、右手には田んぼ、左手には緑豊かな山が広がります。
のどかな自然に囲まれて、日々都会で受けるストレスをデトックス♪
途中からは遊歩道も整備されていて、快適にウォーキングできます。
途中の水路沿いには、隼人町合併50周年事業で植樹された木々たちが。
当時の住民が植樹に関わっていたようで、1つ1つの木に「結婚記念 優子・千寿」「元気だ80 海江田 文雄」といった記銘プレートが掲げられていて、なんとも微笑ましいです。
昭和29年(1954年)、当時の隼人町が日当山町と清水村の一部と合併し、隼人日当山町が誕生。
3年後に隼人町に改称し、更に平成の大合併で現在の霧島市隼人町になりました。
そうすると、この木々が植えられたのはおそらく2004年でしょうか。
記銘されている方々は、今も元気かな?なんて思いを馳せます。
小さな石橋を渡ってみたり、日向ぼっこしているカモたちに癒されながら、いよいよ目的の蛭児神社へ到着です。
宮内原用水路とは
江戸時代、戦乱の世が治まると各地で経済が活発化し、土地の開発が行われた。
薩摩藩でも領内の開発に努め、正徳元年(1711年)から6年の歳月をかけて掘られたのがこの宮内原用水路だ。
工事は近隣の住民が多数奉行し、スキやクワなどを使って手作業で完成させた。過去2回の改修を経て、現在も大切に使われている。
かつての大隅国二宮、圧倒的なパワーを放つ蛭児神社
蛭児尊を祭る、森の中の社
水路から少し奥に踏み込んだ森の中に鎮座ましますのは、江戸時代まで鹿児島神宮に次ぐ大隅国の二宮であった蛭児(ひるこ)神社。
創建は神代と伝わりますが、この地に遷座してきたのは寛延3年(1750年)。
御祭神は蛭児尊で、七福神の一人であるえびす様と同一という信仰もあり、海上安全や商売繁盛のご利益があるとされています。
蛭児尊とえびす様の関係
蛭児尊というのは、イザナギ・イザナミの国産みで最初に生まれた神様でしたが、不具であったために海へ流されてしまいます。
一方、古来から日本の沿岸部では漂着物を「えびす様」と呼んで信仰する地域が多く、室町時代にはこれらが同一神であるという説が庶民の間に広く浸透しました。
南国の植物が生い茂る境内
境内には、神社には珍しく南国らしい植物も生えており、なぜか鬼瓦?のようなものも。昔の社殿の名残でしょうか?
境内は深い森に包まれており、静かで静謐な空気が流れています。
「パワー」の類にはえらく鈍感な私ですが、ここにはなにかすごいパワーがあるな、と感じました。
そして、そのパワーの源たるご神木が「神代の楠」です。
神代から伝わる楠
鳥居の外に、ご神木である大楠が堂々の威容を誇っています。
カメラに収まりきらない大きさで、間違いなくパワーの源はここだな!と直感しました。
参拝者を、遙か上空から優しく見守ってくださっているようです。
この楠は享保13年(1728年)に国分の地頭・樺山主計久初によって植え継いだもので、樹齢は300年近く。
そして、この楠から道路を挟んで反対側に先代の大楠が今も現存しています。
神代の楠――。長い歳月で朽ち果て、今は切り株だけになってしまいました。
しかし、今でも参拝者や地元の方に大切にされながら、神社の側にひっそりと佇んでいます。
神社周辺の森は「なげきの杜」と呼ばれていて、太古にこの神代の楠から落ちた実が繁茂して、やがて広大な杜になったと云われています。
ローカル感漂う、肥薩線日当山駅
さて、神社に一礼して再び用水路へ。
ここから日当山駅までは500mほどの距離です。途中線路を渡りますが、踏み切りはないのでしっかり左右を確認して渡ります。
肥薩線日当山駅。昭和33年(1958年)に国鉄の駅として開業しましたが、昭和60年(1985年)に無人駅になりました。
駅舎は解体されてしまい、現在は待合所のみが残ります。
無人駅になってから2年後に国鉄が民営化し、現在のJR九州に継承されました。
駅には誰もいません。近くにある日当山温泉は、西郷隆盛が愛した湯ということで有名なのを、ふと思い出しました。
駅周辺を散策
まだ少しだけ時間があったので、近くを散策。
歩いて5分ほどの距離に、日当山西郷どん村という入場無料の観光施設がありました。目印は大きな西郷さんの像。
市内にあった像と違って、ずいぶんコミカルな(^^;)
門を潜ると、藁ぶき屋根の家が。これは西郷さんが日当山を訪れた際に逗留していた龍寶家をイメージして復元したそうです。当時の生活が、偲ばれます。
これは100年以上前の石風呂。
お湯を沸かすのになんと3~4時間もかかったそうで、そんなに待てるかい!!ということで次第に五右衛門風呂へと変わっていったそうな。
にしても、現代の感覚からするとかなり小さいです。当時の人は小柄だったんですね。
こちらは龍寶家の釜と、庭園。西郷さんは日当山を十数回訪れ、湯治や釣り・狩りを楽しんだそうです。
他にも、敷地内にお土産屋さんや観光案内所・足湯なんかも併設されていて、なかなか楽しめました。
幹線道路沿いで駐車場も広いので、ドライブのついでに立ち寄ると楽しめそうです♪
肥薩線に乗って嘉例川駅へ
さて、再び日当山駅へ戻ります。
電車が来るまで、待合所のベンチでウトウト。
しかし本当に寝てしまうと、危険です。なんせ肥薩線は2時間に1本しか走っていないので(^^;)
時間ぴったりに、1両編成の電車が入線してきました。
日当山からの乗車は、私を含めて2名。車内は先客が1組。
妙見温泉までは隼人駅からバスが出ていますが、この日肥薩線での移動を選んだのは築100年の木造駅舎で有名な嘉例川駅へ訪れるためです。
これから霧島の森林を北上して夢の嘉例川駅へ。続きはまた次回!
ご覧いただき、ありがとうございました(^^)/