最強の怨霊を祀る縁切り神社へ行ってみた、その効果は・・・
ネットで「縁切り神社」と検索すると、高確率で検索上位に出現する安井金比羅宮。
京都・祇園に鎮座するこの神社はネット上で圧倒的な知名度を誇っており、全国から縁切り・縁結びを祈願する参拝客で常に賑わっている。
この神社に祀られているのは、日本三大怨霊に数えられている崇徳天皇だ。没後に数々の怪異を起こし、近代まで多くの人々から恐れられている。
この神社の境内で一種異様な雰囲気を醸し出しているのが、願い事を書いた短冊が幾重にも貼り重ねられた「縁切り縁結び碑」だ。
碑に山とばかり貼り付けられた短冊には、ネット上に書けない様な恐ろしげな願いが書かれた物もあるとか、ないとか・・・。
果たしてその効力は如何ほどに。桜咲く春の京都へ、行ってみた。
- 最強の怨霊を祀る縁切り神社へ行ってみた、その効果は・・・
【アクセス】バスでのアクセスが簡単
Googleのナビにご用心
さて、春の京都にやってきた。ちょうど桜が咲き始めた頃で、多くの観光客で賑わっていた。
安井金比羅宮の最寄は、電車だと京都河原町駅、バスだと東山安井停が最寄だ。
駅からは少し距離があるのでバスでの訪問をオススメするが、京都のバス路線は複雑なので、事前に調べておこう。
そして、注意点が1つ。
実はバス停から安井金比羅宮までのルートをGoogleマップで検索すると、高確率で裏門に案内される。
※参考までに、下の写真が裏門に続く道だ。ここを行くのではなく、バスを降りたらセブンイレブンの方角を目印に歩くのがいいだろう。
神社は正面から入域したほうが良いと言われているので、一旦バスで来た道を戻る。
50mほど歩くと石鳥居が見えた。ここが一の鳥居に当たる。Googleマップだと「東鳥居」と表記されている場所だ。
見上げると、鳥居には「悪縁を切り良縁を結ぶ祈願所」と書かれており、緊張感が高まる。
ちなみに、歓楽街のド真ん中にある関係で神社周辺にはラブホテルや18禁なお店が多い。
ご家族で参拝する際には、予めルートを確認しておいたほうが良いだろう。
参道脇に駐車場!?
鳥居を潜るとちょっと不思議な造りになっていて、参道脇に参拝者向けの有料駐車場がある。
ちなみに駐車料金は、昼間だと30分200円。ここが祇園の中心地であることを考えれば、良心的だろう。
安い!!金比羅宮。
【境内】コンパクトな境内には見所がたくさん
平日の昼間だったが、そこそこの人で賑わっていた。
カップルや友達同士の参拝が多いようで、インバウンドの参拝客も多数散見される。海外でも、着実にエンギリの認知度が上がっているようだ。
【ご神木】樹齢???年
参道脇には、ご神木がある。
樹齢は不明だが、大地を這う立派な根がたくましい。参拝前に、一礼しよう。
【手水】参拝前に禊をしよう
本殿に到る直前に立派な手水舎がある。
参拝前に、手を清めて禊をする。以前は氏子から奉納された柄杓が置かれていたそうなのだが、この時はコロナの影響で撤去されていた。
【絵馬】有名人の絵馬がたくさん
手水の向かいには絵馬が展示されている。
実はここ、安井金比羅宮には日本初の絵馬ギャラリー・金比羅絵馬館が併設されている。
かつての神社には生きた馬を献上する風習があったのだが、それが時代を経て現在の絵馬の奉納に落ち着いたらしい。
まぁ神社からしても、そう生きた馬ばかり奉納されまくったら大変だもんなぁ。
桂米朝・小松左京・いとしこいし・横山やすし・・・。昭和の大スターたちも、この神社に参拝したことがあるらしい。
もっとも、目の前にいた大学生カップルは絵馬を一瞥するなり「誰もしらなーい」と言って立ち去っていった。そうだろうなぁ。
ともかく、個人的に感動したのがこちら。
上方落語の天才・桂枝雀師匠。
私が落語にハマるきっかけになった恩人です。故人なのが、悲しい・・・。
【本殿・拝殿】廃仏毀釈の歴史を残す
さて、本殿は参道から少し外れた位置にある。
この神社は元々光明院観勝寺という寺院であったのが、明治時代の廃仏毀釈で神社に改められた歴史がある。
なので本殿・拝殿は比較的近年の建立らしく、かなり綺麗で荘厳だ。
1695年に、それまで祀られていた崇徳院(後述)に加えて、讃岐国の金刀比羅宮より航海・交通の神・大物主神と、源頼政公を勧請した。
そのため、縁切り・縁結び以外にも海上安全・交通安全といったご利益がある。
ところで、本殿前にはやたらと注意書きが多い。
「左右に広がって」の掲示は他の神社でもよく見かけるのだが、「前の方をお待ちいただく必要はございません」は初めて見た。
よほど長時間祈願している人が多いんだろうな。。。
【金比羅宮遥拝所】たいていの願い事はお任せ!?
先述の通り、ここの御祭神には香川県の金刀比羅宮から大物主神を勧請している。
その金比羅宮を遙かに拝むのが、この遥拝所だ。対になった狛犬が、力強く迎えてくれる。
ここ祇園から香川県・金比羅宮までは直線距離にして200km超。
遙か遠くのうどん県を思い浮かべつつ、旅の安全を祈った。
金比羅神としての大物主神は航海・交通安全の神様として有名だが、その他にも縁結び・方除・病気平癒・造酒・製薬、さらには産業開発(!?)のご利益があるとされている。
まぁ大抵の願い事は任せなさい、という力強い神様だ。
【稲荷社・厳島社】商売繁盛と芸能向上はおまかせ
境内には多数の摂社・末社があって、面白い。
参道を裏門方向に進み、右手に見えるのが稲荷社と厳島社だ。
厳島社は、言わずと知れた広島・厳島神社の弁財天だ。芸能の神様として信仰されている。
もうひとつの稲荷社は三光稲荷社といって、商売繁盛・五穀豊穣のご利益がある、いかにも祇園に似合う神様だ。
ちなみに、授与所ではこの稲荷社にあやかった「もうかり守」という、関西魂を感じるネーミングの御守りが授与されているようだ。
【安井天満宮】もう一人の怨霊が…
本殿の隣にあるのが、安井天満宮。
学業向上にご利益があり、受験シーズンになると全国の天満宮に受験生がコミケの如く殺到する。
ところで、ご祭神の菅原道真公も日本三大怨霊の1人として恐れられている。
要するに、ここ安井金比羅宮は3大怨霊のうちの2神が隣り合って祀られている、恐らく全国でもここにしかない特異な神社だ。
ここで気になるのは、残る1人の怨霊・平将門公だが、彼は怪光と共に江戸へ飛び去ってしまったため、ここには祀られていない。
今は大手町の首塚か、神田明神にいけば邂逅できるだろう。
【久志塚】古くなった櫛を供養
本殿横には少し開けたスペースがあって、ここを囲むように様々な末社や塚がある。
本殿の対面にあるのは、古くなった櫛を供養したハゲの方には縁のなさそうな久志塚だ。
毎年9月の第4日曜日に行われる櫛まつりでは、この塚の前に奉納された大量の櫛を積み上げて、供養するらしい。
余談だが、「櫛」という言葉には霊妙・不思議と言う意味の古語である「奇(くすし)」「聖(くしび)」と同じ響きがあるため、古代より呪力のある神聖なものとして扱われてきた。
↑発掘された縄文時代の櫛。頭皮に悪そう・・・。(引用元: Wikipedia)
最近のJK周辺では、櫛のことをコームと呼ぶ謎の風潮があるが、しっかり由緒正しい櫛!と言っていただきたい。
【八大力尊社】あらゆる基礎の向上に!
久志塚の隣にあるのが、八大力尊を祀った八大力尊社だ。
聞きなれない神様だが、安井金比羅宮の前身である蓮華光院の御堂の柱を支えていた力石をご神体として祀っている。
ご利益は、基礎固め・地盤固め・基礎能力向上。土木関係者に篤く信仰されていそうだ。
授与所では八大力尊デザインの絵馬も授与されていて、なかなか可愛らしいデザインだ。
【末社3社】実は隠れパワースポット!?
さて、特筆してご紹介したいのが参道向って右側にある末社の3社だ。
右から、火伏せ・火難除け等のご利益がある秋葉社、文芸守護や安産祈願等の人丸社、そして不安の解消・ストレス解消のご利益があるという囁社だ。
ご利益に「ストレス解消」と明記している社は、全国でもここだけではないだろうか。
ストレス社会に耐えられなくなった人は、夜道でアーーッ!とか叫んだりせずに、ここに参拝していただきたい。
参拝方法もユニークで、左右の密語帯という布に触れて、日々の悩みや不安を囁くように話すといいらしい。
由緒・創建・御祭神が全て不明、というのが気になるところだが、個人的には一番気に入った社かもしれない。
ちなみに、向って右の秋葉社には炎上鎮静という凄まじいご利益もあるので、うっかりSNSで炎上してしまったら真っ先に参拝しよう。そうしよう。
【絵馬道】SNSへの投稿はNG
境内には数々の絵馬が奉納されているのだが…。
縁切り神社として有名なだけあって、かなり恐ろしい内容が書かれていることもある。
そのため、絵馬の文面をSNSへアップする行為は禁止されている(まぁあまり守られていなくて、「安井金比羅宮 絵馬」で検索すると色々出てくるのだが・・・。)
絵馬には「○○が死にますように」だの「○○と○○の仲を引き裂いてください」という、危険な内容のものが多い。
個人名どころか住所が書かれたものも多いので、うっかりSNSに投稿しないように気をつけよう。
さっきも言ったが、炎上したら秋葉社へGOだ。
【伝説】日本最恐の怨霊・崇徳天皇とは
藤寺と崇徳天皇
さて、この安井金比羅宮のご祭神は、崇徳天皇・大物主神・源頼政公の3柱。
その中でも、この神社と切っても切れない関係なのが、崇徳天皇だ。
7世紀中頃、藤原鎌足がこの地に堂を建立したのが起源で、藤を植えていたため藤寺と呼ばれていた。
現在も、境内には藤棚と桜の樹があり、境内を彩っている。
それから400年後、75代目天皇の崇徳院は、大変この藤を好まれていた。しかし保元の乱に敗れ讃岐へ配流になり、非業の最期を遂げた。
天狗になった崇徳院
一説によると、讃岐に流された崇徳院は、自らの極楽往生と、乱による戦死者の供養を祈って五部大乗経を血書し、朝廷に差し出した。
しかし朝廷は「呪詛が込められているのでは」と疑心し、これを拒否。非情にも送り返した。
これに激怒した崇徳院は、舌を噛み切りその血で経本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」と、呪詛の言葉を書き込んだ。
そして、その後は爪や髪を切らずに夜叉のような姿になり、生きながら天狗になったと云われている。
崩御後、崇徳院の棺から大量の血が溢れてきたとも云われている。
怨霊伝説
崇徳院の崩御から12年が経った1176年、保元の乱で争った後白河天皇・藤原忠道の周辺人物が次々と死亡。
翌年には平安京で大火が発生し、京の1/3が焼失。更に、白山事件・鹿ケ谷の陰謀といった大逆事件が頻発し、動乱の始まりとなった。
↑天狗になった崇徳院 (引用元: Wikipedia )
当時の貴族たちは、これらの出来事を「崇徳院の怨霊ではないか」と恐れた。
それまで讃岐院と呼ばれていた呼称を崇徳院に改め、保元の乱の古戦場に廟を建立して慰霊に当たったが、その後も怨念は収まらず、怪異は続いたと云う。
これらの出来事から、江戸時代の文献などにおいて崇徳院は怨霊として描かれ、菅原道真・平将門と並ぶ日本三大怨霊として恐れられている。
【検証】縁切り縁結び碑、その効果は…
さて、この神社を全国的に有名にした「縁切り縁結び碑」は、本段の左側にある。
境内に入ると、夥しい数の形代が貼り付けられた、異様な風体が嫌でも目に付くはずだ。
由緒によると、祭神の崇徳天皇が「国家安泰祈られもろもろ一切を絶って祈願された」ことがこの碑の由来とある。
ただ、崇徳天皇は先述の通り「髪や爪を一切切らず、生きながら天狗になった」という伝説のほうが史実として有名であり、どちらかというと呪詛的側面のほうが強いのではないか・・・と邪推する。
参拝方法①形代に願いごとを記入
さて、さっそく縁切り・縁結びの祈願をしよう。
碑の近くに藤棚があって、その下が形代に願い事を記入するためのスペースとなっている。
隣にはテントが張ってあるので、雨の日でも安心だ。
記入台の上に、形代とマジックが置いてある。
近くに賽銭箱があるので、1枚ごとにお賽銭を入れたらいよいよ記入だ。
形代の書き方には決まりがないらしい。
名前・住所も書かなくていいので、プライバシー面も安心だろう。
とはいえ、碑の文章は多くの人の目に触れるので、あまり過激なことは書かないように自重しよう。
私が訪れたときは、自宅から持参したであろう0.38mmの極細ボールペン(たぶん)で、一心不乱に形代へギッシリとナニゴトかを記入している女性がいた。何書いてんだか。
参拝方法②碑をくぐってダブル祈願
さていよいよ碑をくぐるのだが、これにはいくつか作法がある。
①向って表から1回くぐる(縁切り)
②裏からもう1回くぐる(縁結び)
③碑に形代を貼り付ける
④碑に向かって一礼
なんと、1回で縁切り・縁結び両方の祈願ができる一石二鳥なのだ。
形代は、碑をくぐった後に貼り付けるので、先に貼り付けてしまわないように気をつけよう。
ちなみに、形代を張るための糊は碑の裏にある台に用意されている。
この日は平日の午前中だったが、なんと碑の前には20人ほどの列ができていた。
「縁切り祈願」と聞いたときに、何か思いつめた人たちが俯き気味に無言の列を成す、なんというか百鬼夜行的なものを想像しがちだが・・・。
↑イメージ図。実際の百鬼夜行はこんなにコミカルではあるまい。
どうしてどうして、カップルから学生、外国人の観光客やオバサンの団体などが、ニコニコと談笑しながら並んでいるではないか。
もしもこの列を撮影して、ディ○ニーランドの待機列ですと言っても、バレないんじゃないだろうか(そんなわきゃない)
参拝、そしてご利益が・・・!?
今回、私が祈願したのは縁結び。
すこーしだけ気になっていた、職場の女性との縁が結ばれるよう祈願してみました。
ほとんど冗談のつもりだったのだが・・・。
ご利益ありました。
まぁ、縁が切れるのも早かったがな・・・。
これが安井金比羅宮に参拝したご利益なのか否かは、判断が別かれるところでしょう。
「偶然だ」と言う声もあるでしょう。私も、少なからずそう思います。
ひとつだけ言えるのは・・・。ありがとう、安井金比羅宮。そして崇徳院さん。
↑安井金比羅宮近くにある崇徳天皇御廟。
ちなみに、碑をくぐらずに形代だけ貼り付けても効力は同じらしい。
時間がないときは、形代だけペタッと貼り付けて、行列を尻目にスマートに撤収するのもOKだ。
【まとめ】噂に違わぬ圧倒的人気。来て損はなし
縁切り神社としてあまりに有名なので、参拝をためらっていた。
しかし結論として、この神社で陰険な雰囲気を出しているのは一部の過激な内容が書かれた絵馬くらいで、いたって普通の明るい神社だと思う。
とある絵馬に、「○○君との縁が切れませんように」とあったのには、笑ってしまった。
なるほど、どうしての繋いでおきたい縁がある場合、うっかり切られないように、縁切りの神様に「この縁は切らないで!」とお願いするのは、理にかなっている気がする。
当社で縁切りの神様として崇められ、怨霊として有名になってしまった崇徳院だが、これには否定論もある。
崇徳院が讃岐に配流されている時に詠んだ、有名な歌がある。
「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」
いまは離れ離れでも、末にはまた一緒になりましょう、と言う意味の恋歌だ。
↑在りし日の崇徳天皇。実際は藤を愛で、蹴鞠を楽しむ優しい天皇だった。(引用元: Wikipedia)
様々な解釈があるが、京に残した妻や家族を想った一節だといわれている。とても怨霊の詠む歌ではあるまい。
結局、願い叶わずに讃岐で崩御したのは先述の通りだ。一説では暗殺であったとも言われている。
近くにある崇徳天皇御廟は、かつて京の人々から「崇徳さん」として親しまれ、芸妓さん達が頻繁に参拝していたそうだ。
私の周囲には安井金比羅宮に対して「怖い」イメージを持っている人が多いのだが、せっかくの京都旅行。崇徳院さんにご挨拶しておいても、損はないだろう。
きっといい事ありますよ。
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